2026.01.19
[観光情報]
山梨の郷土料理「ほうとう」の歴史を深掘り!戦国時代から続く伝統の味

山梨を訪れると食べたくなる郷土料理「ほうとう」。今回は、ほうとうがいつ、どのようにして生まれ、なぜ山梨の人々に深く愛されるようになったのか、その歴史を紐解きます!武田信玄の陣中食だったという話は有名ですが、そのルーツにはさらに古い時代の説も存在します。戦国時代から現代まで、時代と共に変化してきたほうとうの姿を知ることで、次の一杯がもっと味わい深くなる、そんな発見をお届けします。
山梨のほうとう 歴史を紐解く旅へ

山梨の食文化を語る上で欠かせない存在、それが「ほうとう」です。かぼちゃをはじめとする野菜と共に、幅広の麺を味噌仕立ての汁で煮込むこの郷土料理は、多くの人々に愛され続けてきました。ここでは、そんなほうとうの基本的な情報と、なぜこれほどまでに山梨の人々の心に深く根付いているのか、その理由を探ります。
ほうとうとは何か その基本を知る
ほうとうは、小麦粉を練って作った幅の広い平打ち麺を、かぼちゃ、きのこ、季節の野菜などと一緒に味噌味の汁で煮込んだ、山梨県の代表的な郷土料理です。 うどんと違い、麺を打つ際に塩を使わず、生地を寝かせないで生のまま煮込むのが大きな特徴です。 これにより、麺から溶け出した小麦粉が汁にとろみを与え、冷めにくく、まろやかな味わいを生み出します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 麺 | 塩を使わずに打った幅広の平打ち麺。生のまま野菜と一緒に煮込む。 |
| 汁 | 味噌仕立てが基本。煮干しで出汁をとることが多い。かぼちゃが溶け込み、自然なとろみと甘みが加わる。 |
| 具材 | かぼちゃは欠かせない具材。その他、にんじん、里芋、きのこ、白菜など、季節の野菜がふんだんに使われる。 |
なぜ山梨の郷土料理として愛されるのか
ほうとうが山梨の地に深く根付いた背景には、地理的な要因が大きく関係しています。山がちな地形で米作りに適した土地が少なかったため、人々は米の代わりに栽培しやすい小麦を育て、日々の糧としてきました。 ほうとうは、そんな小麦を使った料理として、毎日の食生活の中心にあり、暮らしに密着した料理でした。
また、野菜がたっぷりとれて栄養価が高く、体の芯から温まるほうとうは、実用的な面でも人々の生活を支えてきました。 麺と野菜を煮込んで作る手軽さも、忙しい農作業の合間の食事として重宝された理由の一つです。家族や地域の集まりで大きな鍋を囲んで食べることも多く、人々の絆を深める役割も担ってきました。2007年には、農林水産省が選定する「農山漁村の郷土料理百選」の一つにも選ばれています。
ほうとうのルーツを探る 古代から中世へ
山梨の味として親しまれるほうとうですが、その歴史を辿ると、実は戦国時代よりもっと昔、古代中国にまで行き着くかもしれない、そんな壮大な物語が隠されています。ここでは、ほうとうの原点を探ってみましょう。
中国伝来説 麺料理の源流
ほうとうの名の由来として現在もっとも有力なのが、中国から伝わった「餺飥(はくたく)」という言葉が変化したもの、という説です。 餺飥は、唐の時代に食べられていた小麦粉を練って平たく伸ばし、汁で煮込んだ料理で、現在のほうとうの原型と考えられています。 この調理法が、奈良時代から平安時代にかけて、日本から唐へ渡った遣唐使や僧侶によって伝えられたとされています。
平安時代の「はくたく」とほうとうの関連性
日本で「はくたく」の存在が確認できる最も古い記録の一つは、平安時代にさかのぼります。清少納言の『枕草子』の中に、「はうたう」という言葉で登場しており、当時の貴族たちの間で食べられていたことがうかがえます。 この頃はまだ、山梨の郷土料理という形ではなく、都の限られた人々が口にする特別な料理だったようです。 その後、長い年月をかけて日本各地へ広まる中で、山梨の気候や風土に合わせて独自の進化を遂げ、現在のほうとうの姿になったと考えられています。 ほうとうのルーツに関する説を、下の表に整理しました。
| 説 | 時代 | 伝来元 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 餺飥(はくたく)説 | 奈良~平安時代 | 中国(唐) | 小麦粉を練り、平たくして煮込む麺料理。 |
| ほうとうへの変化 | 鎌倉~室町時代以降 | 日本国内 | 山梨の気候風土(米作に不向きな土地)に合わせて独自の進化を遂げ、庶民の日常食として定着。 |
戦国時代に花開く 武将たちと山梨のほうとう

ほうとうの歴史を語る上で、戦国時代の甲斐国、現在の山梨県を治めた武将たちの存在は欠かせません。ここでは、特に武田信玄公とほうとうの深い関わりに焦点を当てながら、この料理がどのようにして甲斐国の食文化として根付いていったのかを見ていきます。
武田信玄とほうとうの伝説
山梨のほうとうといえば、甲斐国の英雄である武田信玄公の逸話を思い浮かべる方も多いかもしれません。ほうとうには、信玄公にまつわるいくつかの興味深い伝説が残されています。
信玄公の陣中食としての役割
最も有名な伝説は、ほうとうが武田軍の「陣中食」として食べられていたというものです。合戦の合間に、野戦食として食べられていたと伝えられています。信玄公が自らの刀、すなわち「宝刀(ほうとう)」で具材を細かく切って煮込んだことから、その名が付いたという説も語り継がれており、武将の料理としての力強いイメージを形作っています。
兵糧としての優れた栄養価
ほうとうが陣中食として重宝された背景には、その優れた栄養価があります。小麦粉から作る麺はエネルギー源となり、かぼちゃをはじめとする季節の野菜をたっぷり入れることで、ビタミンやミネラルも一度に摂ることができます。味噌で煮込むことで、体を作るたんぱく質も補給でき、まさに一杯で完結するバランスの取れた料理でした。この手軽さと栄養価の高さが、兵士たちの活力を支える兵糧として理想的だったと言われています。
| 食材 | 主な栄養素 | 期待される働き |
|---|---|---|
| 麺(小麦粉) | 炭水化物 | 体を動かすエネルギー源となる |
| かぼちゃ・野菜 | ビタミン・ミネラル | 体の調子を整える |
| 味噌 | たんぱく質・イソフラボン | 体を作るもとになる |
甲斐国の食文化としての定着
武田信玄公の伝説は、ほうとうの人気を語る上でとても大切な要素です。しかしそれだけではなく、ほうとうが甲斐国に深く根付いたのには、この土地ならではの地理的な理由もありました。山がちな地形で米の栽培が難しい土地が多かった甲斐国では、代わりに小麦やそばなどの栽培が盛んに行われ、粉食文化が発展しました。その中で生まれたほうとうは、手に入りやすい食材で作れる日常食として、武士だけでなく庶民の間にも広く浸透し、甲斐国の食文化として定着していきました。
江戸時代から現代へ 庶民の食卓を彩るほうとう

戦国時代を経て、ほうとうは武士の食事から庶民の暮らしへと浸透していきました。ここでは、江戸時代から現代に至るまでのほうとうの歩みをたどり、人々の生活にどのように根付いてきたかを見ていきましょう。
江戸時代の文献に見るほうとうの姿
江戸時代には、ほうとうはすでに甲斐国の名物として知られていたことが文献からうかがえます。1815年(文化12年)に記された修験者・野田泉光院の旅日記『日本九峯修行日記』には、ほうとうが甲斐国の「名物」として登場します。 この頃には、山間部が多く米作りが難しい山梨の風土に合わせて、小麦栽培が広まり、ほうとうは米に代わる主食として人々の食生活を支える存在になっていました。 そして、庶民が食事でほうとうを食べる習慣が定着していたと考えられています。
明治以降の普及と地域ごとの多様化
明治時代に入ると、山梨県では養蚕業が盛んになります。養蚕は女性たちの重要な仕事であり、その忙しい作業の合間に手早く作れて栄養価の高いほうとうは、ますます重宝されるようになりました。 かつては「ほうとうを打てないと嫁に出せない」と言われるほど、女性にとって必須の料理技術とされていました。
この頃から、ほうとうは地域や家庭によって多様な発展を遂げます。かぼちゃをたっぷり入れて甘みを出すのは定番ですが、様々なバリエーションが生まれました。
| 種類 | 特徴 |
|---|---|
| あずきぼうとう | かぼちゃの代わりに小豆を用い、甘い味付けで煮込んだもの。「こなぼうとう」とも呼ばれ、おしるこのような感覚で食べられることもあります。 |
| おざら | ほうとうと同じ麺を冷水でしめ、醤油ベースの温かいつゆでいただく夏の食べ方です。 |
| 肉入りほうとう | 昭和30年代頃から、豚肉や鶏肉を入れる家庭も増え、よりコクのある味わいが楽しまれるようになりました。 |
山梨の観光資源としてのほうとう
家庭料理として親しまれてきたほうとうは、戦後、山梨県を代表する観光グルメへと姿を変えていきます。2007年には、農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」にも選ばれ、その名は全国的に知られることとなりました。 現在では、県内に数多くのほうとう専門店が立ち並び、それぞれが味噌や具材に工夫を凝らした一杯を提供しています。 「昇仙峡ほうとう味比べ真剣勝負」といったイベントが開催されたこともあり、郷土料理としての文化継承にも力が入れられています。 家庭の味から始まったほうとうは、今や山梨の食文化を伝える大切な観光資源として、多くの人々に愛されています。
武田信玄のお膝元!甲府で食べるおすすめのほうとう店
山梨・甲府は、戦国の名将・武田信玄が築いた歴史ある城下町。武田信玄公が陣中食としてほうとうを食していたという説もあり、この地では古くからほうとう文化が受け継がれてきました。今もなお、人々の暮らしの中に息づく郷土の味。ここでは、そんな甲府でぜひ味わいたい人気のほうとう店を3つご紹介します!
甲州ほうとう 小作

山梨県内にいくつもの店舗を展開する「甲州ほうとう 小作」は、地元で長年愛され続けてきた名店。50年以上の歴史を重ねる中で、ほうとうといえばここ、と思い浮かべる人も多い存在です。受け継がれてきた独自の味噌とだしが織りなすコク深いスープに、店独自の製法で仕上げた特製麺を合わせた一杯は、まさに小作ならでは。しっかりとした太さがありながら、長く煮込んでも形が崩れにくく、もちっとした歯ごたえとやさしい口当たりを楽しめます。山梨県内を中心に計9店舗展開していますが、甲府駅周辺の便利な立地にも、北口・南口それぞれに店舗を構えており、観光や移動の合間にも立ち寄りやすいのが魅力です。各店舗の詳細は、甲州ほうとう 小作 公式サイトをご確認ください。
参考・出典:甲州ほうとう 小作
おざらとほうとうの店 ちよだ

甲府駅南口から歩いてすぐの場所にある「ちよだ」は、長年地元で親しまれてきた名店。冷やして楽しむほうとう「おざら」の元祖として知られ、70年にわたりその味を守り続けています。のどごしの良い冷たい麺を、かつおの風味豊かな温かいつけだれでいただくおざらは、さっぱりとしながらも満足感のある一品。暑い季節には特にうれしい存在です。もちろん、冬の定番!野菜たっぷりの温かいほうとうも味わえるので、季節を問わず楽しめます。ゆったりと落ち着いた雰囲気の店内で、甲府ならではのやさしい味をじっくり堪能してみてはいかがでしょうか。
【基本情報】
・住所/山梨県甲府市丸の内2-4-8
・営業時間/11:30~14:00・18:00~20:00
・定休日/月曜日
詳細は、公式ブログをご確認ください。
燈燈

「小江戸甲府 花小路」内にも、ほうとうを食べることができる店舗「燈燈(とうとう)」があります。伝統を大切にしながらも、新しい魅力を発信する注目のお店です。手打ちのちぢれ麺をはじめ、味噌や豚肉、スープに至るまで素材選びに一切妥協せず、長年受け継がれてきた技と経験を活かして仕上げたほうとうは、ここでしか味わえない一杯。ランチタイムには看板メニューの「ほうとう」と「醤油カツ丼」を中心に、旬の食材を取り入れた定食メニューも楽しめます。観光の合間の食事にもぴったりの一軒です。
ほうとうを食べた後は、「小江戸甲府 花小路」を、ぜひ、散策してみてください。石畳の路地には、小江戸の趣を感じさせるお店が軒を連ね、どこか懐かしい気分にさせてくれます。“和”を感じる空間は、フォトジェニックなスポットとしても人気が高く、旅の思い出に残る素敵な写真をたくさん撮ることができます。ぶらぶらと散策しながら、気になるお店に立ち寄ってみるのも楽しい時間です。甲府城跡とされる舞鶴城公園も最寄りにあり、歴史も感じられるエリアです。

歴史と文化、そして美味しい郷土料理がそろう甲府の街は、歩くだけでも心がほどけていくような心地よさがあります。武田信玄ゆかりの史跡をめぐり、あたたかなほうとうを味わい、小江戸の風情を楽しむ——そんなひとときは、きっと旅の記憶にやさしく残ってくれると思います。
甲府を訪れた際には、ご自分のペースで街を歩きながら、この土地ならではの魅力をたっぷり感じてみてください。
まとめ
山梨の郷土料理「ほうとう」の歴史を、さまざまな角度からたどってみました。そのルーツは古く、中国から伝わった麺文化に由来するという説もあり、長い時の流れの中で少しずつ形を変えながら受け継がれてきたことがわかります。戦国時代には武田信玄の知恵と結びつき、保存性や栄養価の高さから、厳しい時代を生き抜くための食として人々に寄り添ってきました。
山梨の豊かな自然と風土の中で育まれたほうとうは、今ではすっかりこの土地の暮らしに溶け込み、家庭の味として親しまれています。たっぷりの野菜と味噌仕立ての優しい味わいは、栄養も満点で、ひと口食べるだけで心までほっとほどけていくようです。特に冬の冷え込みが厳しい季節には、湯気の立つ一杯が冷えた体を芯から温めてくれます。山梨を訪れましたら、ぜひ現地でこのあたたかな一杯を味わってみてください。


